toscanaAC’s blog

雑記です。

雑記 ゲームの難易度について思うこと

先日プレイしたコスモドリーマーの感想で最後に書いたことだけど、ゲームの難易度について思うことを書いてみる。

で、その前に私はシューティングゲームが下手だ。且つ上手くなるためにやり込むとか練習するとかはしたくも無い。そう思っている。理由は単純で、練習する時間を使ってまで上手くなりたいとは思っていないからだ。

ゲームに対する価値観として気軽に手軽にプレイして楽しめればいいと思っていて、練習しなければクリアできないようなゲームは楽しいとは思えないからだ。といっても、実際にはセーブやコンティニューを使って何度もチャレンジするし、何とかクリアできないだろうかと試みているんだけど、ある一定以上やってみてダメだった時は、投げるようにしている。(私の場合だと、妖怪道中記ワンダーモモなどは、何度やってもクリアはできなかったので楽しさより不快感の方が上回ってしまいプレイしたく無くなった)

昔のファミコンアーケードゲームのようにゲーム自体が少なく他の娯楽も少ない時代に比べれば、今はゲームの種類も数量も豊富だし他の娯楽もたくさんある状態だ。だから、やり込んでゲームをクリアしようとか、練習してゲームクリアしようとか、ゲームを上手くなりたいといった考え方があるべき姿だ、が通用する時代では無くなったと思っている。

価値観の多様化で、ガチ勢とかエンジョイ勢といった言葉が生まれているようにゲームの楽しみ方も人それぞれなんだと思っている。

だた、こういったことに関して結構まだ古い考えというか古い価値観を持っている人が、(十把一絡げにしてはいけないんだろうけど)シューターと呼ばれる人たちには多い印象がある。

ニコニコ大百科の「シューター」の記事に載っているのは、少々というかかなりネタっぽくなっているけど、シューターな方々の傾向の1つだと思っている。で、実際には、死んで覚えるとか、何度も練習するとか、パターンを組むとか、安全地帯を知っているかいないかで難易度が変わってくるとか、各種の対策をたててクリアするのがシューティングゲームみたいに勝手に定義を作っている感がある。

そして過去にはシューティングゲームを作る側もそれに応えるためなのか、難易度の高いシューティングゲームを作り続けた結果、一部のシューターな人たち以外からそっぽを向かれてしまう状態になっているのが現状なんじゃないかと思っている。

つまり衰退している。

もちろん難易度だけでなく、冒頭で書いたように現代はゲームの種類も数量も膨大にあるのでシューティングばかりではなくどんなゲームジャンルでも浮き沈みがある状態になっていると思うけどこの辺りはネットで「シューティングゲーム 廃れた」で検索すれば色々な意見が出てくる。

その要因の1つに高難易度化が必ずと言っていい程に入っている。(それとセットで、一部の上手いと思われる人の書き込みなどで、最近の人はちょっと難しいぐらいですぐに諦めるとかクソゲー判定するとか書いているんだけど、そういう意見が余計にシューティングゲームへの入り口を狭めていることに気づいていない。)

つまり高難易度でそれをクリアすれば達成感が大きい、だから練習してクリアを目指すという考え方の押し付けが強いのと、それが既に時代遅れになっていることに気づかないシューターと作り手という構図なんだろうな、と私は考えている。

アケアカのシューティングは復刻物なので、文句を言っても仕方がないんだろうけど、現代のシューティングゲームなら、この辺りをもう少し考えて欲しいな、と思っている。

ゲームにおける難易度では、ゼビウスドルアーガの塔をデザインした遠藤さんがWEB+DB PRESS Vol.97の記事でまとめているけど、フロー理論や難易度の調整に関する考え方や手法が記載されている。

そこには難易度オプションとしてEASYからHARDまでの難易度を設けることで調整する方法や動的に難易度を変更する仕組み、ユーザ救済(セーブやコンティニュー)、自由度の調整(ワープや面セレクト)といったものがある。

そして結局の所は、プレイヤーの自己主体感を損なうことの無いようにテストプレイのための時間をしっかり取り難易度調整をするのがよい、としている。

また、「誰でもクリアできる難易度 20年前」で検索すると出てくるけど、その記事にはゲームの難易度が面白さに直結するワケではないとしている。ゲームの作り手がゲームを楽しんでもらうための工夫をできるかがポイントであることも示唆している。

ただ、高難易度のゲームに挑戦したい人向けのゲームも必要と言っているところもあり、作り手がどんなプレイヤーをターゲットとしているのか?も重要だと思っている。高難易度であることを最初から説明してあれば初心者や下手な人は手を出さないようになるから、それで棲み分けがしやすいだろうし、難易度調整の手間も高難易度であることを前提とするなら幅広く対応するよりは、時間的コストを削減できると思う。

また、「ゲーム 難易度 EASY 表記」で検索して出てくる記事では、EASY表記を変えた方がいいか?といったことを記事にしているけど、そこにあったアンケートの結果ではEASY表記が不快ではないものの難易度によって得られるコンテンツが変わるのは嫌だという意見が多かったとしている。

つまり、高難易度をクリアしたことのご褒美であるコンテンツという図式は理解はできるけど、同じお金を払っているのに上手い人と下手な人によってそれらが変わってしまうのは納得行かないというものだ。

ここが先日のコスモドリーマーに感じた部分で、たかがライブラリーのCG程度ではあるんだろうけど、結局下手な人は見ることができない状態になっているにもかかわらず、初心者にやさしいと言ってしまっている点が納得行かないわけだったりする。

更にこのサイトの記事では、高難易度をクリアすることが誉という文化のことも記載がある。

高難易度のゲームクリアすることで、まわりから凄いと言われるとか、達成感を感じるとかの話で、各難易度のクリアに対しヒエラルキーが生まれるといったことが書かれている。

おそらくシューターの方々の認識はコレなんだと思っている。自分が優越感に浸りたいがために高難易度のゲームをクリアすることに注力する。それだけならいいんだけど、酷くなると低難易度でクリアした人をバカにしたり、高難易度でクリアして一人前だのとマウンティングをしてくるような非常に不快で人として低レベルな輩も出てくる。

何れにせよ、シューティングやアクションといったゲームジャンルに対しては、ゲーム内容は当然ではあるけど、作り手がどんなプレイヤーをターゲットとし、得られるコンテンツや体験に差が出ないように難易度調整するのがこれからのゲームづくりのポイントになるんだろうなと思っている。

あと、アクションゲームのホロウナイトについて面白い記事があった。「ホロウナイト 難しいと不快の違い」で検索すると出てくるけど、終盤まで楽しめたけどとあるステージは単なるイライラ棒のような状態で不快でしか無かったという記事だ。

ここではそれまで楽しめていたのに、高難易度過ぎて単純につまらない面白くない、単なるイライラ棒になったことで、記事を書かれた方はプレイする気すらなくなっている。

作り手が幅広く遊んでもらいたいと思っていても、プレイする側がやる気を無くしてしまうともう遊んですらもらえなくなるんだ、ということを作り手には認識してもらいたいな、と思っている。

以上、ゲームの難易度についてでした。